最高裁判所第一小法廷 平成3年(行ツ)135号 判決 1991年12月05日
東京都豊島区西池袋五丁目二一番六号
上告人
株式会社システム商事
右代表者代表取締役
松岡喜久枝
右訴訟代理人弁護士
土方邦男
東京都豊島区西池袋三丁目三三番二二号
被上告人
豊島税務署長 渡辺瀞夫
右指定代理人
小山田才八
右当事者間の東京高等裁判所平成二年(行コ)第六一号法人税重加算税賦課決定処分取消等請求事件について、同裁判所が平成三年三月一四日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告人代理人土方邦男の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、帰するところ、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は原判決の結論に影響を及ぼさない部分についてその違法をいうものにすぎず、いずれも採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 橋元四郎平 裁判官 大内恒夫 裁判官 四ツ谷巌 裁判官 大堀誠一 裁判官 味村治)
(平成三年(行ツ)第一三五号 上告人 株式会社システム商事)
上告代理人土方邦男の上告理由
第一点
一 (概要)
(1)本件事件は極めて単純な事件である。即ち、原審第一回口頭弁論期日直前に発見された甲第一八号証の一ないし三及び一九号証を注意深く観察すれば、青山会計事務所の石田が本件二重仕訳をした過程が推認でき、本件二重仕訳が石田の単純な経理上のミスであり、仮装隠ぺいに該当するものでないことが明らかなのである。
(2)しかるに原判決は、甲第一八号証の一ないし三は、控訴会社の経理処理過程で作成されたものではないと極め付け、甲第一八号証の一ないし三に関連する控訴人の証人尋問の申立をすべて却下し、書証の提出以外何等の控訴人側の立証も許さず判決を宣告してしまった。
(3)しかし、甲第一八号証の一ないし三を注意深く観察すれば、その記載自体から、控訴人会社の経理処理のために作成されたものであることが明らかな徴表があるのである。従って、仮に控訴人の主張に疑問があったとしても、甲第一八号証の一ないし三の作成過程に関する控訴人側の証人尋問をしなければ、本件は解明できなかったのである。
(4)しかるに、原審裁判官は(たぶん簿記知識が欠如していたか、うっかり錯覚していたためであろうが)右の点を見落とし、本件二重仕訳の過程につき誤った認定をしたうえ、誤った判決をしてしまった。
(5)これは結局、原判決には、審理不尽、理由不備の違法があり、判決に影響を及ぼすこと明らかな場合であり、原判決は破棄されるべきである。
二 (第一審の裁判経過と甲第一八号証の一ないし三の発見経過及び原審の判断)
(1)本件過少申告は二重仕訳を原因としているので、二重仕訳の原因(逆に述べれば、二重仕訳を削除しなかった原因)が本件事件のポイントである。
(2)この原因は簡単に解明出来そうに見えるかもしれないが、実際はなかなか困難なことである。というのは本件二重仕訳は、青山事務所の石田が経理処理をした昭和五七年八月末頃から二年以上も経過した昭和五九年一一月頃、上告会社に対し実施された調査において発見されたのである。
このため、青山会計事務所の石田は、すっかり自分の仕訳票の起票過程を忘れてしまって、単純に一方の仕訳票(甲第一二号証、一三号証)は振込金受取証(甲第一号証)から、他方の仕訳票(甲第一五号証ないし一七号証)は請求書(甲第四号証の一ないし五)から仕訳をしたのだろうといった大雑把な推定しかできなかった。
この状況は第一審の審理中も全く同様で、青山事務所の青山や石田、また原告代理人自身も、これ以上踏み込んだ解明は不可能であると考えていた。
ところが、第一審判決において、請求書(甲第四号証の一ないし五)では、ユニバックに対する支払日、振込料の金額が判明しないことを重視し、この点を主たる理由として、上告会社の木村が指示し青山事務所の石田が故意に二重仕訳をしたものであると認定された。
原告代理人は、右の点(支払日、振込手数料)は、「石田が木村から電話で聞いたのだろう」という程度に、簡単に考えていたところ、第一審判決で意外にも、右の点が十分解明されないことを根拠に「石田が意図的に二重仕訳した」旨事実認定されたので、愕然とした。
そこで再度提出済の書証を検討しているうちに、乙第一三号証(有限会社大庭の普通預金元帳)の昭和五七年一月三一日振出金額がユニバックの送金額と振込料の合計額にピタリと一致していることに気づいた。この時、原告代理人の頭に、石田証言の中に「普通預金からの入出金は普通預金の通帳を見て仕訳を起こしている」との証言があった(同人証言調書86)ことが閃いたのである。つまり、石田が、有限会社大庭の普通預金通帳を見て、上告会社に関する本件仕訳を起こしたのではなかろうかと考えたのである。
そこで原告代理人は、直ちに(平成二年六月二八日午後五時頃)青山事務所を訪れ、あいにく青山税理士は不在だったので、石田に直接右の可能性を尋ねた。
同女は、「自分も忘れていたが、そのような可能性は十分ある」旨話し、倉庫から上告会社の決算処理の際の書類を出して来てくれ、その中に甲第一八号証の一、二が発見されたのである(この経過は、控訴人の平成二年七月一〇日付準備書面七、八頁に主張したとおりである)。
右のとおり、甲第一八号証の一ないし三は、たまたま第一審判決が「甲第一五ないし一七号証の仕訳票を、請求書(甲第四号証の一ないし五)から仕訳するには、日付と振込料の特定が不可欠である」と極め付け、そのことを根拠に石田の故意を認定したことをきっかけに、原告代理人が更に書証を検討した結果発見されたのである。
ところが、甲第一八号証の一ないし三が発見されてみると、これを検討することにより、石田が二重仕訳したプロセスが、おおまかではあるが解明できたのである。従って、甲第一八号証の一ないし三は、本件事件の解明には重大な意味を持っていたのである。
しかも甲第一八号証の一ないし三は、一見して上告会社の経理処理のために作成された徴表があるのである。
しかるに原判決は軽率にもこの点を見過ごして、「甲第一八号証の一ないし三は、専ら大庭の法人税申告のために利用され……たものである可能性が濃く……石田がそれ(甲第一八号証の一ないし三)を参酌して甲第一五ないし一七を作成したものと推認することは困難である」と極め付けてしまったのである(原判決四丁表)。
(3)そこで最も重大な点である、甲第一八号証の一ないし三が上告会社の決算処理のために用いられたものであるか否かを論ずる。
甲第一八号証の一ないし三が上告会社決算処理のために使用されたことは次の点より明らかである。
まず第一に、甲第一八号証の二、三は普通預金通帳(甲第一九号証)をコピーしたものに黄緑色のマーカーとオレンジ色のマーカーで、金額が塗り分けられており、左上に黄緑色のマーカーで「大庭」、オレンジ色のマーカーで「システム」と記入されている(甲第一八号証の二、三はカラーコピーで提出してあるが、原本の色より多少不鮮明である)。その塗り分けは、昭和五七年一月一四日の「新規」の欄から昭和五七年六月二五日まで行われ、同年七月以降は塗り分けは行われていないことが明らかである。
ところで、上告会社の決算期間は七月一日より翌年六月三〇日までであり(乙第二号証ないし五号証)、有限会社大庭の決算期間は八月一日より翌年七月三一日までである(乙第一一号証)。つまり大庭の決算日の方が上告会社より一ヵ月遅れているのである。
また、甲第一九号証と対比すると甲一八号証の一ないし三のコピーの元である通帳が記載されたのは昭和五七年八月一一日から、同月二二迄の間ということが判る。従って、甲第一八号証の一ないし三がコピーされたのは、昭和五七年八月一二日以降ということになる(甲第一八号証の三では八月二三日付預入れ以降が記載されていないが、このことは甲一八号証の一ないし三が八月二二日以前にコピーされたことを意味しない。何故なら、木村が甲第一九号証につき、昭和五七年八月二三日以降直ちにこれを銀行に持ち込み記帳したが、永らく記帳しないまま放置したかは不明だからである)。
そこで話しを元に戻して、石田が甲第一八号証の二、三につき、黄緑色及びオレンジ色のマーカーで、上告会社分と大庭分とを塗り分けした時点で、同女は両会社のいずれの決算処理をしていたのであろうか。
甲第一八号証の二、三を良く見ると昭和五七年六月分までは塗り分けられているが、同年七月分の六件以降の払出金が、そっくり塗り分けられていないことが判る。
つまり、石田は甲第一八号証の二、三の塗り分けをした時点では、六月三〇日を決算日とする会社の仕訳のために、塗り分けを行ったのである。
勿論、六月三〇日を決算とする会社は上告会社であり、石田は上告会社の決算処理のために、塗り分けを行ったと考えざるをえない(勿論このことは、後に大庭の決算処理のため再度甲一八号証の二、三を使用した可能性を否定しない)。
第二の根拠は、上告会社分としてオレンジ色に塗り分けられた部分にも、石田の手によるチェックマークが付されていることである(チェックマークについてはすべて、甲第一八号証の二、三自体に、鉛筆で記入されている。チェックマークには、敢えて原告代理人は赤線でアンダーラインを付さなかったが、甲第一九号証自体に記入されたものでないことは、甲第一九号証との対比で明らかであろう)。チェックマークは通常、当該数字につき、記帳したり、照合したりする際の確認のために付す記号であるから、石田は、上告会社の払出し金額につき確認したことが明らかであり、石田は甲第一八号証の一ないし三を上告会社の決算処理のために使用したことが明らかである。
第三の根拠は甲第一五号証ないし一七号証の摘要欄にわざわざ「大庭借入(二九、二一三、二一九の内)」と記載されていることである。右の記載金額は、甲第一八号証の二の大庭の普通預金からの引出金額と一致している。右引出金額は上告会社からみれば大庭に対する借入金額になるので、後に見ても資金源泉とすぐ判るように、大庭の普通預金の引出金額を注記しておいたのである。
これに対し、若し、原判決が述べる如く、甲第一八号証の一ないし三が「専ら大庭の法人税申告のために利用された」ものであるとすれば、次の二点が説明できない。
(Ⅰ)昭和五七年七月分の六件全部が塗り分けられていないが、一部上告会社分か大庭分か石田に判断がつかない部分につき塗り分けることができなかったにしても、「カリダシリソク」(大庭に対する東洋信託の徴収利息)のようにはっきりしたものまで塗り残してあるという本件の事態は考えられない。
(Ⅱ)石田はオレンジ色に塗られた上告会社分の振出金額につき何等確認する必要がないにもかかわらず、右金額の右肩にチェックマークを付してある事実が説明できない。
ところで、原判決が指摘するとおり、甲第一八号証の一ないし三には、石田自身の書き込みがあり(赤線でアンダーラインを引いてある部分。赤線でアンダーラインを引いていない書き込みは、通帳(甲第一九号証)自体に、木村一嘉が書いたものである)、石田の右書き込みは専ら大庭分に対してである。従って、甲第一八号証の一ないし三は、大庭の決算処理に際にも利用された可能性が高い(なお、甲第一八号証の二の上告会社分には、特段石田自身の書き込みは無いが、右払出金額には木村一嘉自身の「ユニバックへ送金」との書き込みがあり、これを見れば支払目的は一目瞭然だから、石田がこれ以上書き込みをしなかったのは当然である)。つまり、甲第一八号証の一ないし三は、一旦上告会社の決算処理の際に利用され、次に有限会社大庭の決算処理の際に再度利用された可能性が高い。
しかしこれは考えて見れば当然のことである。甲第一八号証の一ないし三は、上告会社の支払分と大庭の支払分とが混在して記帳されているのであり、大庭は上告会社に一ヵ月遅れで決算処理をするのであるから、甲第一八号証の一ないし三を、両方の決算仕訳の資料に利用するのはむしろ当然のことであり、一方(大庭)の決算のためにだけ使用したという原判決事実認定の方がむしろ不自然である。たぶん原判決は甲第一八号証の二、三に記入されている、書き込み、七月三一日付払出金額の真下にある横線、黄緑色マーカーによる塗り分け、チェックマーク等がすべて一度に書き込まれたものと思い込んで事実認定したのであろう。しかしこのような前提が成立しないことは明らかである。
(4)原判決は、甲第一八号証の一ないし三が専ら大庭の法人税申告のために利用されたものであると認定した根拠として、
(Ⅰ)甲第一八号証の一ないし三が、税務調査、不服審査、第一審で提出されなかったこと
(Ⅱ)乙二一、二三、石田証言にもその存在の言及がないこと
(Ⅲ)甲一八の二、三、の上になされている書き込みの内容、チェックマークの位置、五七年七月三一日の払出金額真下に区分のためと思われる横線があること
の三点を挙げる。
しかし、(Ⅰ)の点は、甲第一八号証の一ないし三は控訴審第一回口頭弁論直前に発見されたものであるので、これ以前に提出されなかったのは当然である。石田、青山、原告代理人の三名共、石田の仕訳過程について当時の立証が残っているのではないかなどとはついぞ考えなかったのが事実である。しかるに第一審判決において振込料、及び振込日をどのように把握したかという疑問点の存することを根拠に、原告会社の木村が青山事務所の石田に指示して、故意に二重仕訳を起票した旨事実認定され、始めて石田の仕訳の過程を再考し、大庭の普通預金通帳から仕訳した可能性に思い至り、更に、石田自身「普通預金からの出金額については普通預金通帳から仕訳を起こす」旨証言していたことを思い出し、甲第一八号証の一ないし三の発見に至ったのである。
裁判所からみれば、当事者が一定の事実を主張したり、それに沿う証拠を提出したりする作業は簡単なものと考えるかもしれないが、実際は、或る事実を推測していく過程は試行錯誤の連続であり、また一定の思い込みが頭から離れず、発見してみれば簡単な事実でも、なかなか判明しないことが良くあるのである(第一審、第二審判決とも本件事件の事実関係を推論する際に、根拠の無い一定の前提を置いて、どんどん推論を進め結論を出してしまっており、この姿勢には、当事者として大きな驚きの念に打たれる。しかし、これも、事実を推認していく過程は試行錯誤の連続であり、この過程の中で一定の思い込みによりとんでもない思考の迷路に入り込むことが大いにあるという観点からすれば、同じことなのかもしれない)。
(Ⅱ)の点は、石田自身が「自ら甲第一八号証の一ないし三を使用して甲第一五ないし一七号証の仕訳票を起票したこと」を忘れてしまっていたのであるから言及しないのは当然である。
また原判決の指摘する「甲第一八号証の二、三の上に書かれている書き込み、チェックの位置、五七年七月三一日の振出金額真下に区分のためと思われる横線があること」等の事実は、この事実より、石田が甲第一八号証の二、三を訴外大庭の決算処理の際にも利用した事実を推認しえても、上告会社の決算処理のために利用したことを否定する根拠になりえない。
三 (石田の二重仕訳過程の真相)
(1)甲第一八号証の一ないし三が、上告会社の決算処理のために用いられたことが判明すると、甲第一八号証の二の該当欄の記載内容から、石田が次のとおり仕訳したことが判る(但し、左記(Ⅰ)(Ⅱ)の先後は不明である)。
(Ⅰ)振込金受取証(甲第一号証)から甲第一二、一三号証の仕訳票を起票する。
(Ⅱ)請求書(甲第四号証の一ないし五)と甲第一八号証の二から甲第一五号証ないし一七号証の仕訳票を起票する。この場合甲第一八号証の二の昭和五七年一月三〇日振出分二九、二一三、二一九円が甲第四号証の一ないし五に対応した支出であることは大庭の普通預金通帳(甲第一九号証)自体に木村の筆跡で「ユニバックへ送金」とコメントが書いてあるから石田にとって一目瞭然である。
石田は、右(Ⅰ)の仕訳の支払資金源泉は領収書(甲第一号証)で確認しており、右(Ⅱ)の支払資金源泉は大庭の普通預金通帳(甲第一八号証の二)で確認しているから、いずれの仕訳も根拠をもって起票したのである。ただ、右(Ⅰ)(Ⅱ)の仕訳が同一取引の仕訳だから(Ⅰ)の仕訳を削除しなければならないことに気づかなかっただけなのである。
(2)では何故石田は右(Ⅰ)(Ⅱ)の双方の仕訳を起票してしまったのであろうか。または何故事後的に一方の仕訳を削除しなかっのであろうか。
実はこの点も、石田の証言を注意深く読めば、ほぼ確定できるのである。
石田証人尋問調書の84以下を再現すると、
84 「……。その前に普通預金から出てる分があれば、その分は領収書は除きます。普通預金の通帳から見て、その分に該当する領収書があればその分は除きます。」
85 「領収書のうちに、普通預金から支出されているというふうにはっきり分かるものは、その領収書から区分するというか、この分だけまず領収書を取り除くと、こういうことをおっしゃるのですね。」
「はい。」
86 「それは要するに、普通預金からの支出というのは、普通預金の通帳を見て、全部普通預金の入金、出金として仕訳していくから、そこで押さえられるから、対応する領収書というのは、二重仕訳になっちゃいけないから除くという意味なんですね。」
「ええ。」
87 「そうすると、支出が普通預金でない。一般的に言えば多分現金であろう。そういう領収書だけが残るわけですね。」
「はい。」
88 「それでどうするんですか。」
「それは(貸方科目を)現金で全部伝票起こしていきます。」
つまり、石田は、普通預金通帳から支出の確認できる経費は、
借方 仕入 ○○○/貸方 普通預金 ○○○
との仕訳をし、領収書のみからの仕訳は、
借方 仕入 ○○○/貸方 現金 ○○○
との仕訳をしていたのである(経費の借方科目は便宜上仕入勘定を使用したが他の科目でも同じである)。この場合、普通預金で出金が確認されている支払いにつき、領収書を抜いておかないと、後に領収書から借方科目を現金として経費の仕訳を起こす際二重仕訳になってしまうから、石田は「その分(普通預金から出金されている分)に該当する領収書があればそれは抜きます」という作業を行うのである。
ここまで説明すれば、石田が二重仕訳をした根本原因は明瞭であろう。
石田は、「大庭の普通預金の通帳(甲第一八号証の二)から見て、その分に該当する領収書(甲第一号証)があればその分は抜く」という作業を怠ってしまったのである。
(3)それでは何故石田はこの作業を忘れてしまったのであろうか。次の五つのケースが考えられる。
(Ⅰ)最初から、振込金受領証(甲第一号証)、請求書(甲第四号証の一ないし五)、大庭の普通預金通帳(甲第一八号証の一ないし三)が揃っていた。しかし石田は、普通預金通帳と領収書と対応せず、該当領収書を抜くという作業をおよそ行わなかったケース。
(Ⅱ)最初から振込金受領証、請求書、大庭の普通預金通帳が揃っていた。
しかし、石田は機械的に、上告会社の普通預金通帳(富士信用金庫本店、東洋信託銀行池袋支店、第一勧業銀行新宿支店乙第二一号証三枚目)と領収書との照合のみ行い、大庭の普通預金通帳(甲第一八号証の一ないし三)と領収書との照合を忘れてしまったケース。
(Ⅲ)最初に振込金受領証(甲第一号証)のみあって、これに基づき、甲第一二、一三号証の仕訳をし、(上告会社に関するひととおりの仕訳が終わった後に)甲第四号証の一ないし五、甲第一九号証が同時或いは順次に届き、これに基づき甲第一八号証の二が作成され、甲第一五号証ないし一七号証の仕訳票が起票されたケース。この場合、石田は、既に起票を終えた領収書の束を再度点検し、該当する領収書があるか否か点検し、若し発見したらこれに基づく仕訳票(甲第一二、一三号証)を取り消さなければならないが、この作業を失念してしまったケース。
(Ⅳ)最初に甲第四号証の一ないし五及び甲第一九号証が手許にあり、これに基づき甲第一五号証ないし一六号証の仕訳票を起票したが、上告会社に関する一連の仕訳が終わった後、甲第一号証が届き、これに基づいて甲第一二、一三号証の仕訳票を起票してしまったケース。この場合石田は、予め普通預金通帳と照合して、該当払出金がみつかれば、新たに仕訳票は起票してはならないのであるが、石田はこれに気づかず、甲第一二、一三号証を起票してしまったケース。
(Ⅴ)右同一の場合であるが、石田は上告会社の普通預金通帳及び大庭の普通預金通帳と照合し、大庭の普通預金通帳から上告会社の支出として出金されている該当金額が発見されたら、甲第一二、一三号証を新たに起票してはならないのであるが、石田は単純に上告会社の普通預金通帳との照合のみし、大庭の普通預金通帳との照合作業の必要性に気づかず仕訳してしまったケース。
勿論これらのケースは、上告人代理人が考えられるケースを想定しただけで、実際はもっと種々のケースがありうるであろう。
右のケースの場合、どれが最も可能性が高いかという議論はなかなか難しい問題であるが、たぶん(Ⅰ)のケースは可能性は低いであろうが、(Ⅱ)ないし(Ⅴ)のケースは非常に高いであろう。
(4)以上述べてきたとおり、本件二重仕訳の原因として最も考えられるのは、右(Ⅱ)ないし(Ⅴ)のケースであるが、石田の右経理上のミスが、仮装、隠ぺいに該当しないことは明らかであろう。石田は本来二重仕訳を防ぐ態勢をとっていたのであるが、何等かの事情で二重仕訳回避の措置を忘れてしまったにすぎないからである。
また、第一審判決及び原審判決の前半部分の(「理由」、第一項、(一)、原判決二丁裏ないし五丁裏)「石田はこれらの一方の起票をしたあとに他方を起票することにより、本件仕入等を二重計上することを確認しながら……甲第一五ないし一七号証の仕訳を起票したものである」「石田は独断でこのようなことをするとは考えられず、木村の指示に基づくものである」という事実認定が誤りであることも明らかであろう。
(5)なお、原判決は、理由第一項(二)で、石田が甲第一号証と甲第四号証の一ないし五の相互関連性を把握しないまま起票し、また石田が木村に電話確認した場合の木村の回答を誤認した結果、誤って本件二重計上に至った場合も考えられない分けではない旨述べる。
しかしながら、原判決は、「青山事務所では(支払)資金源泉を確認することなく、請求書から仕訳を起こす場合があり、本件仕入の二重計上も、石田が右の方法による経理処理を実行した結果生じたものである」と認定しこれを前提に、そのような場合、「青山は仕入の二重計上のおそれを予見しており」「控訴会社は、帳簿を作成せず、申告期限間際に青山事務所に経理処理、申告手続一切を委せた」のだから、控訴会社は申告内容を誤ることを「未必的に容認」していたと判断でき、この場合、控訴会社に仮装隠ぺいがあったものと評価できるとする。
原判決はどうも、本件二重仕訳の原因は、青山事務所では、請求書より、「資金源泉の確認」(たぶん請求書に対応する支払の事実を客観的な資料で確認しておくことを意味するのであろう)をしないまま仕訳することがしばしばあり、本件においても石田がこの方法にて仕訳をしたことに在ると見ている様である。しかも、右の如き態勢は極めて誤りを誘発する構造にあったから、控訴会社に仮装隠ぺいがあったとみてよいという発想がある様である。
しかし、原判決が本件二重仕訳の原因として認定している石田の仕訳過程は、明白な事実誤認である。前述のとおり、石田は甲第一二、一三号証の仕訳票を起票する際も、甲第一五ないし一七号証の仕訳票を起票する際も、「資金源泉を確認」しているのである。
原審裁判官が甲第一八号証の一ないし三を少し注意深く観察すれば右仕訳過程は当然判ることであり、或いは甲第一八号証の一ないし三に疑問をもったとしても、控訴人の証人申請を採用すれば、右の仕訳過程は自ら明らかとなり、原判決の如く、誤った前提に基づく誤った結論に至らなかったことは歴然としている。従って、原判決には審理不尽理由不備の違法があり、これが判決の結果に影響を及ぼすこと明らかである。なお、原判決の「未必的容認」の理論には、判決の結果に影響を及ぼす法令の解釈の誤りが他にもあるが、これは二重仕訳の過程を廻る問題と別の問題なので上告理由第二点で述べる。
(6)ところで原判決は二重仕訳につき、控訴人に故意のあったことを裏付ける理由として次の点を挙げている。
(Ⅰ)本件仕入は唯一の仕入であるうえに、その金額が全取引中に占める割合は、極めて大きいものであったこと。
(Ⅱ)控訴人(上告会社)には月額一五〇万円程度の粗利益が見込まれており、昭和五七年六月期の所得金額は一九四五万二九五三円であったのに、二重計上があったため確定申告では九七六万〇二六六円の欠損が計上され、青山、木村にとっては、右欠損額はたやすく見過ごすことのできる数値でなかったこと。
の二点である。
しかし、右(Ⅰ)の点は、木村は白紙の確定申告書に予め判を押して青山事務所に預けておき、申告書作成後直ちに青山事務所は郵送してしまい、申告書提出前に木村が決算書の数字を知る機会は無かった(青山第一回49 以下)(この点は第一審判決も認めている(六丁表)から、右(Ⅰ)は、木村の故意の認定理由にならない。
また、右(Ⅱ)のうち上告会社が月額一五〇万円程度の粗利益が見込まれるとの点は、借入金の返済という負債科目(の減少)と損益科目とを混同した議論であり、簿記の仕組を基本的に理解していないために生じた誤解である(この点は、被控訴人側も認めている、被控訴人平成二年一一月一二日付準備書面一五頁参照)。
次に、原判決は「昭和五七年六月期の真実の所得金額は一九四五万二九五三円であるのに……」と判示する(原判決五丁表)。原判決がここで言いたいことは、本来なら約二、〇〇〇万円の所得金額となる筈であり、そのことは木村一嘉自身が予想していた筈であるのに、実際は約九七六万円の欠損となったから、木村一嘉が青山税理士に質問したり疑問を持たなくてはおかしいと言いたいのであろう。
ところが、真実の所得金額が一九四五万二九五三円であるというのは必ずしも正確ではないのである。
このことを理解するためには、昭和五七年六月末日決算期の決算報告書を分析しなくてはならない。右決算報告書の所得金額算出過程を分析すると、
(Ⅰ)昭和五七年六月末日決算期(本件二重仕訳の行われた決算期)の損益決算書は(二重仕訳の結果仕入高が増加したため)、当期純利益は約九九〇万円の純損失となった(乙第三号証損益計算書)。
(Ⅱ)試算表の段階で赤が出れば(当期純利益が損失となれば)青山事務所は減価償却費を計上しないことにしている(青山証人第一315)から、減価償却費を計上しなかった(乙第三号証販売費及び一般管理費の内訳)。
(Ⅲ)その結果申告書では約九七六万円の欠損金額となった(乙第三号証申告書別表一)。
(Ⅳ)ところで、右同決算期の修正申告(乙第六号証)では、減価償却費を計上しないまま、右二重仕訳の仕入金額を否認したから(乙第六号証、別表四)、同金額だけ費用の減少となり一九、四五二、九五三円の所得金額となった。
(Ⅴ)従って、原判決の「昭和五七年六月期の真実の所得金額は一九四五万二九五三円である」との認定は、修正申告における所得金額が同金額であるとの点では正しいが、控訴会社の右同決算期の適正な損益計算をした結果の経営成績という意味であれば誤っている。
(Ⅵ)むしろ、適正な経営成績という意味では翌期(昭和五八年六月末日決算期)の当期純利益を参考とする方が妥当であるが(同期の減価償却費一九、八二五、三六九円)、同期は五五五、九一九円の当期純損失となっている(乙第四号証)。そもそも、木村一嘉は上告会社を設立するに当たり「自分の研究するコンピュータソフト理論の実験場という意味で」(証人木村一嘉調書19)設立したのであり、「利益はほとんど考えていなかった」(同22)のである。
第二点
一
(1)原判決は石田の過失により本件二重仕訳が発生したこともありうるとして、たとえ石田が右相互関連性(振込金受取証と請求書との相互関連性)を把握していなかったために、木村が石田からの質問を取り違えて回答したために二重計上されたとしても、
(Ⅰ)「青山会計事務所では、……請求書から仕訳する場合は、……支払いの事実はあるが、依頼者手持ちの資金からの支払いに関する原始証拠がないときは、資金源泉を確認することなく、第三者からの借入金により支払ったものとして仕訳すること」
(Ⅱ)「石田は、この処理方式に基づき、本件振込金受取証と本件請求書の相互関連をチェックすることなく、それぞれの書面に基づいて本件仕訳票(甲第一二、一三、一五ないし一七号証)を起票したことが窺われる」
(Ⅲ)「このような場合、同一の仕入れが二重計上される可能性が極めて高い」
(Ⅳ)「青山は、仕入れや支払の二重計上するおそれのあることを十分に予見していた」
(Ⅴ)「控訴人(上告会社)は青色申告法人であるにもかかわらず、日常整えるべき帳簿書類を一切作成せず、申告期限の間際になって、右のような経理処理をする青山事務所にその経理処理及び申告手続き一切を任せていた」
から、「控訴人は申告の内容を誤ることを未必的に容認していたといえる」から、控訴人は仮装隠ぺいの責任を免れないとする。
右原判決の理由のうち、(Ⅰ)(Ⅱ)の石田の本件二重仕訳の過程に関する事実認定が審理不尽理由不備の違法があり、これが判決に影響を及ぼすこと明らかな場合であることは前述のとおりである。
(2)次に、原判決の認定する石田の二重仕訳の過程を前提としても、控訴会社に仮装隠ぺいがあったといえるとする理由付けは、国税通則法六八条一項の解釈を誤り、これが判決に影響を及ぼすこと明らかである。
即ち、原判決は、
(Ⅰ)一般に青山会計事務所は資金源泉を確認することなく、請求書を基に仕訳を起こしていたこと
(Ⅱ)この場合同一の仕訳が二重計上される可能性が極めて高いこと
(Ⅲ)青山は仕入や支払を二重計上するおそれがあることを十分予見していたこと
(Ⅳ)控訴人は青色申告法人でありながら、帳簿書類を作成せず、申告期限間際になって、青山事務所に経理処理、申告手続き一切を委せた
との点から、控訴人は申告内容を誤ることを「未必的に容認」していたので、隠ぺい仮装があったといえると判断する。
(右のうち(Ⅰ)ないし(Ⅲ)が、石田の仕訳過程を誤って認定したための誤った前提であることは前述のとおりである。)
しかし、右の理論構成には次の二点において判決に影響を及ぼすべき国税通則法六八条一項の解釈の誤りがある。
(3)第一に、国税通則法六八条一項は納税者の隠ぺい、仮装に基づく申告を要件としており、納税者の仮装隠ぺいについての故意を必要としている。この点原判決は、控訴会社が帳簿額を一切作成せず、申告期限間際になって青山事務所に経理処理及び申告手続き一切を委せたことをもって、控訴会社は(実際には木村一嘉のことであろうが)「経理の二重計上がなされ」「誤った決算が行われ」「申告の内容を誤ること」「未必的に容認していた」と述べる。しかし、木村一嘉が青山事務所の具体的経理処理の方法や二重仕訳の発生するメカニズムを知っていたとは考えられず、木村が「二重計上を未必的に容認していた」などということはありえない。
さればこそ、原判決は「練達の税理士である青山が、仕入や支払を二重計上するおそれを十分予見していた」との認定を持ち出しているのであろうが(これが実際の本件二重仕訳のメカニズムを誤認した結果の事実認定であることは前述のとおり)、仮に青山にこのような予見があったとしても、これをもって控訴人自身が本件二重仕訳の計上を容認していたことにはならない。
国税通則法六八条一項は「納税者に隠ぺい、仮装又は隠ぺい仮装に基づく申告があった場合」と規定し、納税者自身(必ずしも、納税者たる法人の代表者自身に故意がなくともよいであろうが)の仮装隠ぺいの故意を必要としている。本件の場合、上告会社側の唯一の関係者は木村一嘉であるが、同人自身には、仮装ないし隠ぺいの故意も、青山事務所の経理態勢も知らなかったし、また二重仕訳とはどのようなことで、どのようなメカニズムで発生するかという点についての認識も無い。木村一嘉が理解しているのは、せいぜい帳面(現金出納帳)を作成していないといった程度のことで、この程度の認識をもって、「青山事務所の経理処理過程で発生する可能性のある二重仕訳の可能性」などという高度の簿記技術上の問題について、「上告人に仮装隠ぺいの未必的容認があった」とする原判決は、一素人である納税者自身の意識と、経理処理の専門家である税理士の意識を混同したもので、「納税者の仮装、隠ぺい」という法の要件をあまりにも拡大解釈した、誤った解釈といわざるをえない。
(4)第二に、原判決は「控訴人は経費の二重計上がなされ、その結果誤った決算が行われて、申告の内容を誤ることを未必的には容認していた」とし、「この場合、控訴人は隠ぺい又は仮装があったものといえる」とする。しかし、国税通則法六八条一項は、「計算の基礎となる事実の全部又は一部の隠ぺい又は仮装」又は「その隠ぺい又は仮装したところに基づき納税申告書を提出していたことは」と規定し「事実」の隠ぺい仮装を要件としている。しかし本件は、原判決の認定通りの過程で発生したものであろうが、上告人の主張するような過程で発生したものであろうが、石田の経理処理過程における処理ミスを原因とするものである。具体的には、石田が事前に「預金通帳と領収書とを対照し、対応する領収書があれば抜く」(上告人の主張するケース)「請求書と領収書とを突合させる」(原判決の認定したケース)という作業を怠った、或いは申告書作成直前に「再度預金通帳と領収書とを点検し、対応するものがあれば当該仕訳を取消す」「請求書と領収書とを突合し、対応するものがあり、それぞれから二重仕訳していないか否かの検討し、二重仕訳があったら取消しておく」といった作業が、本件に関して抜けてしまったということに起因している。
従って、本件は経理処理過程のミスにすぎず、「事実」に隠ぺい仮装があった場合とはいえないのである。
原判決は、国税通則法六八条第一項の解釈を誤り、同項の要件を拡大解釈したものといわざるをえず、右誤りは判決に影響を及ぼすこと明らかである。若し、本件の如き経理処理上の過失に基づく過少申告も、原判決の述べるような「希薄な」「未必的容認」の疑いがあれば、「隠ぺい仮装」があったとみなされるなら、ほとんどすべての経理処理上のミスや計算間違いによる過少申告は、重加算税の対象となってしまうであろう。このような事態が国税通則法六八条一項の予想を逸脱した事態であることは明らかであろう。
以上